2回目のインターステラー鑑賞、感想と愛について

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この前のAmazonプライムデーでレンタル100円になっていたので、前々から気になっていたクリストファー・ノーラン監督のTENETを観てみました。

が、内容が抽象的且つ設定の説明があまりにも少ないため、一度見ただけではストーリーを理解するのも困難な映画でした。

 

そして、これはもう一度観ないとな、と思っているうちにレンタル期間が終了してしまいました…。

 

消化不良だったので、半年前くらいに観た同監督のインターステラーをもう一度観ることにしました。

 

こちらはTENETとは違い、一度目でも充分楽しめたのですが、

最近、四次元世界や時間、循環について考えることが増えていたので、今回は前回観た時の何倍も楽しめました。

 

特に、アンハサウェイ演じるヒロインの、

愛は観察可能な力よ」という台詞にとても共感しました。

 

私たちは愛しい人を想った時に、心があたたかくなったり、胸が苦しくなったりします。

それを科学では脳内物質が原因だと言いますが、本当にそれだけでしょうか。

 

私はそれを、愛の作用だと思うのです。

そうした「力の作用」というものは、直接目には見えないし、直接機械では計測できないけれど、作用を受けた側に、作用された結果が残ります。

 

脳内物質は、作用された結果、だと私は思うのです。

 

私たちは真空というと、何もない空間を想像しますが、実は真空は膨大なエネルギーを秘めているようです。これを物理学の世界では、量子真空と言うようです。

 

私にとって愛、というものも、真空と似たような性質のものだと、直感しています。

 

 *

 

作中で繰り返し登場する詩があります。

ディラン・トマスという詩人の『Do not go gentle into that good night』という詩です。

 

あの穏やかな夜におとなしく身を任せてはいけない。
老いたならばこそ燃え上がり、暮れゆく日に荒れ狂うべきだ。
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
最期を迎える賢人たちは暗闇こそが正しいと知っているが、彼らの言葉が電光を発することはないのだから、彼らはあの穏やかな夜におとなしく身を任せることはない。
儚い行ないが緑の入り江でどれほど明るく躍動したかもしれないと最後の波を前にして叫ぶ善人たちよ、
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
荒れ狂う者たちは逃げ行く太陽を捕まえ謳歌し、そして学ぶ、遅すぎたと。
逃げ行く太陽に悲観するのだ。
あの穏やかな夜におとなしく身を任せてはいけない。
死期が近づいた威厳を持った者たちの眩い光景を見て、盲目と化した瞳が流星のように輝き煌びやかであるように、
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。
そしてあなた、私の父よ、その悲しみの絶頂にいる私を荒れ狂う涙で呪い、祈ってくれと願う。
あの穏やかな夜におとなしく身を任せてはいけない。
消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。

 

なぜノーラン監督がこの詩を引用したのか、まだ深く考えていないのでわからないのですが、あまりにもインターステラーが良かったので、ディラン・トマスの詩集を図書館で借りてきました。

 

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東京は明日から雨が続くようなので、晴耕雨読ということで読書に耽ろうと思います。

 

 

 

 

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